拝啓 受験生の私へ
センター試験の日。
寒い日だったと思うけど、その記憶が薄いのは、受験結果がボロボロだったから。
人生が終わったと絶望の淵にいた私になんて言葉をかけるだろうか考えてみた。
拝啓 受験生の私へ
センター試験お疲れ様。
これまでの受験生活、それこそ雨の日も晴れの日も雪の日も毎日10時間以上、机に向かい続けてきましたね。
センター試験の自己採点が終わり、呆然としてる今やることは思いっきり泣くこと。
スッキリするから、とにかく泣き切ること。
ここで我慢すると切り替えられないから。
自己採点後、人生が終わったと絶望したことは今もはっきりと覚えている。
あんなに打ちのめされたことはなかったし、人生の中でこんなに分厚いどでかい壁で前が見えなくなることもなかった。
これからどうしたらいいのかわからなかったし、もう私の人生は大失敗だと思った。
もう巻き返せないし、これからは何一つ楽しいことなんてないんだと思っていた。
今でもたまに受験のことは夢に見る。
受験まであと数日だというのに、教科書、参考書は数ページしか読んでいないという状況で、どうしよう、、、と慌てている自分。
目が覚めて、あーーよかったーー、とホッとする。
というのを信じられないくらい繰り返してる。(笑)
だから強烈な経験を今まさに体感してるかと思います。
結論から言うと、行きたい大学に落ちたくらいで人生は終わらないから大丈夫。
そんなことくらいで人生が終わってたらやっていけない。
でも視野が狭くて、経験が浅い18歳にとっては死活問題か。
志望校に落ちた時の立ち直り方なんて、参考書にどこにも書いてないもんね。人生終わりだと思ってもしかないか。
アラサーになって振り返ると、あの時志望校に落ちたのは大正解だったし、私には必要な経験だった。
センター試験直後の私には信じられないかもしれないけど。
志望校に落ちて、併願した大学に行ったことで、そこから派生していった私の世界は何にも変え難いものだから。
そして人生には自分の思うようにならないことがつきものだということを身をもって知ったから。
志望校に落ちたゆえに経験できたこと、そこで出会えた人たちからうけた影響が今の私を作ってる。
今の私は偉人でもなんでもないけど、でも私は私のことを気に入ってる。
大した人間じゃないし、欠点だらけな私を好きになれたのは多分、受験という人生の岐路を経験したからだと思う。
例えば、今18歳に戻ったとして、合格、不合格を自分で変えられるとしても、私は喜んで不合格を選ぶ。
合格しない方が正解だったよ。
合格してたら、間違いなくすごく嫌な人間になってた。負け惜しみでなくそう思う。
結局、自分に必要な経験ができるような人生を送らようにできてるんじゃないかな。
自分の思うようにならないときに、絶望したり愕然としたりするけど、ながーーーい目でみると、自分で胸を張って正解だと思うようになってる。
私も歳をとったと言ってもまだアラサー。
これからもいろんなことがあると思うけど、結果オーライだと思って一歩ずつ進んでいくね。