アラサーOL 頑張らない日々

読書好きアラサーOL@都内 お一人様爆走中で何をするにも基本ソロ活動。将来の夢はものを書いて生計を立てること。

寂しくて当たり前

少し前に恋人と別れたので、おうち時間だったり、ふとした時に、ひとりだなー、さみしいなーと感じる。

 

連絡が来るはずはないのに、もしかしたら連絡が来るかもしれないとスマホを何度も見てしまう。

 

ひとりぼっちだと寂しくなったり、孤独を感じたりする今日この頃。でも、寂しいのなんて当たり前だし、寂しさを感じない人なんてひとりもいない。

 

想像を絶する孤独や寂しさに押しつぶされそうになりながらみんな毎日過ごしてるんだと思う。

 

寂しさや孤独を感じない人は、自分の時間がないくらい忙しい人。寝る時間もないくらいの人。

 

例えば、育児をしていたり、終電で帰るくらい仕事をしてる人は忙しすぎて、寂しさや孤独よりも疲労困憊でとにかくゆっくり眠りたいと願う人だと思う。

 

自分の時間がある人は、等しくみんな孤独を感じる。寂しくて孤独でひとりぼっちで当たり前。

 

家族や友達や恋人がいても、みんな寂しくて孤独でひとりぼっちなのである。

 

だって、自分のことを100%理解してくれる人なんていないから。もちろん限りなく100%に近く理解してくれる人もいるかもしれない。

 

だけど、自分のことだって実はよくわからない。だって思いもよらないことが起きた時にどう感じるか、どうするのかなんて自分にだってわからないから。

 

いくつになっても自分の未知な部分がある。そんな自分を100%理解してくれる人を求める方がおこがましいのかもしれない。

 

だから寂しくって当たり前。

 

寂しさを感じたら、はいはい、これは通常運転、と思って、お風呂に入ったり、少しランニングしたり、瞑想したりすると、その寂しさが肌に馴染んで、やり過ごせる。

 

就職活動で悩む人へ

リクルートスーツを着ている人を電車で見かける機会が多くなりました。


就職活動している学生さんを見かけるたびに、心の中で頑張れ頑張れとひそかに応援しています。

 

私自身、就職活動をしていたとき、本当に内定をもらえるのか不安で仕方なかったです。
そして、名前の知られている大企業に入ることができなければ、人生おしまいだと思っていたのです。(笑)


本当に自分の視野の狭さと浅はかさに笑ってしまいますが。
当時は大企業以外はブラック企業のような意識がありました。

 

私自身、幸運にも第一希望の会社に受かることができました。
誰もが知っている企業です。


では、幸せだったかどうか聞かれると、それははっきりとNOと言えます。
大きな会社であれば、人も仕事も何もかもがきちんとしていると思ったのです。そう信じていました。


確かに、有名大学卒の人ばかりでした。そして驚くほど親が資産家の人がたくさんいました。
でも、尊敬できる人はほとんどいませんでした。


大企業のため、人はたくさんいます。
いかに、仕事をしないようにするか考えいているような人ばかりでした。
仕事をなすりつけられたり、自分は関係ないからという態度のような人ばかりでした。
社会は厳しいと聞いていたけど、本当にその通りだなーと痛感する毎日でした。

 

余談ですが、このときのことをよく当たる占い師に見てもらったところ、このころ、人生最悪の時期だね、と言われました。(笑)

 


その後、別の会社に転職しました。
その会社は、小さな会社で、正直、転職活動をするまでは聞いたことがないところでした。新卒の就職活動では、エントリーをすることもなかったような会社です。

 

正直、大企業に疲れ果てていたため、たいして期待をしていませんでしたが、この会社が大変に素晴らしかったのです。


規模が小さいのですが、そこで働いている人達はみんな、とても人格者で尊敬できる人ばかりでした。穏やかで和やかで大人の対応ができる人達でした。


出世するために、ごまをすったり、仕事を押し付けてくるような人は一人もおらず、みんな、助け合って仕事をしていました。


問題が起これば、みんなで解決策を出し合い、良い方向にしていこうという実直な気持ちのある人達ばかりです。

 

小さい会社だから、大きな会社と比べると劣るところはあるかもしれないけど、いい会社にしていくために、改善点があれば、みんなでよくしていこうと部長に言われたときに、とても驚きました。
そんなこと、言われたことがなかったからです。


大企業ではことなかれ主義で、改善すべき点があってもほったらかしで見て見ぬふりをすることがほとんどでした。

 

大企業に入らなければならないと、あほのように思っていた大学生の私に言ってあげたい。
大きな会社や名前の知られている会社=素晴らしいとは限らないと。

小さい会社で人に恵まれて、楽しく仕事をする道があるということを。

 

きっと、選考過程で不採用の通知を受け取ったり、不安な気持ちになっている人もたくさんいると思います。


だけど、大学生の視点で考える世界というのは信じられないくらい狭いのです。今の自分が目指す理想というのは、もしかしたら、数年後、見当違いだったなと思う道かもしれないのです。


だから、志望しているところに落ちてしまったと絶望している方は、絶望する必要なんて全くないのです。第一志望に受かって、入った後に絶望して辞めている私のような例もあるから。

 

だから、落ちた、受かったということに一喜一憂してしまうかもしれないけど、必要以上に落ち込まずないでほしいのです。


遠回りしたり、道が長いと感じることもあるかもしれないけれど、行きつくべき場所に必ず行きつけると信じて一歩一歩進んでいってほしいと思います。

 

会社に入ってやりたいことができる人は本当にごくわずかだと思います。


やりたいことがある人は自分で会社を起こして、会社員なんてやらずに、どんどん道を切り開いていっているんだろうな。

心のままに直感を信じて生きる(生きるコント2/大宮エリー)

大宮エリーさんの「生きるコント2」に出てくるのが、「心のままに直感を信じて生きれば、びっくりするくらい幸せになれますよ」という言葉。

 

日々懸命に働いてきたけれど、ふとした瞬間に、いったい何のために仕事しているんだろうと思う時がある。


自分の成長のため…?いや、違う。
自分のためだったら、こんなにいやなことを我慢し続けたりはしない。

 

仕事をすることが、生きるうえでのスタンダードであるとどこかで思い込んでいたから。
仕事をせずにいることが悪いことのように植え付けられていたから。

 

幸い、会社員である私のやっている仕事は誰だってできる。
代わりはいるし、誰にでもできる仕事を苦しみながらやってることを冷静に考えて滑稽に思ってしまった。

 

誰にでもできる仕事を努力して、人並みにできるように頑張ることはこれまでさんざんやってきた。


でも、長い時間をかけてこの会社で使い勝手のいい人間には仕上がってきたのかもしれないけど、最も大切な自分にしかできないことを探すことをおろそかにしすぎてきた。

 

誰にでもできる仕事であれば、私自身が同じようにできるように七転八倒する必要はない。


自分にしかできないことを模索し、それに向けて努力し、人に喜んでもらえることに主軸を向けていきたい。

お前はまだ若い、なんとか救ってやりたい(森絵都/カラフル)

森絵都さんのカラフルは私の人生になくてはならない大切な本だ。

 

今まで何度も読んできたし、これからも何度も繰り返し読み続けることは間違いない。

 

今、生きるのが辛いなーしんどいなーと思ってる人は手に取ってみてほしい。私自身、もう生きるのなんてウンザリだと思ってしまう時、必ず読み返してきた。

 

カラフルは読むときの自分の状態で、心を揺さぶられるところが変わる。

 

初めのうちは、中学生の主人公真目線で物事を見ていたが、社会人になってしばらくして、今度はお父さんの方がすんなりと感情移入できることに驚いた。真は視野が狭いなー、大人になったらそうは言ってられないよーと読了することもあった。

 

今回読み直してみて、またこの本の新たな素晴らしさに気がつくことができた。すごい本だということはすでにわかっているつもりだし、魅力を知り尽くしてると思っていたけど、やっぱり読み返すごとに新たな発見があると感じた。

 

今まで気にすることもなかったお父さんの言葉に今回ひどく心を打たれた。

 

『お前はまだ若い、なんとか救ってやりたい、とできるかぎりのことをしてくれた』

 

話の流れからすると、さほど重要な言葉ではなく、状況を説明してるにすぎないので、これまでは何も感じることなく読んでいた。

 

だけど、『お前はまだ若い、なんとか救ってやりたい』というのは作者の森さんがこの本を書いた理由なんじゃないかと思えたのだ。

 

この本は死生観に関する話が出てくる。だから、私は森さんがこの本に込めたメッセージをずっと知りたかった。

 

それは読者自身が、導き出すものかもしれないけど、私は宝物の本だからこそ、本当のところはどうなのか聞きたくて仕方なかったのだ。

 

これまで読んできた中で、カラフルというタイトルにいろんな想いが詰められているんだと解釈していた。

 

それはまちがいないのだけど、その先にある想いみたいなものを知りたかったのだ。

 

今回読んで、お父さんの

『お前はまだ若い、なんとか救ってやりたい』


が森さんがこの本を書いた答えのような気がした。

 

そして、私もこの本を読むことで本当に救われてきた。

 

受験に失敗した時、就職が不安でいっぱいだった時、恋人と別れた時、人間関係に疲れた時。

 

折に触れて読み返し、そのたびにパワーをもらえたのは、森さんの『お前はまだ若い、なんとか救ってやりたい』という気持ちが、この本に込められているからだとわかった。

 

生きている意味がわからない、毎日辛く苦しいことばかりでどうしたらいいかわからない と思う若い人は多いと思う。そんな人はぜひこの本を読んでほしい。

 

私も30年以上生きてきてなお、生きている意味が全くわからず、辛く苦しいことばかりの人生にがっかりすることばかりである。

 

でもお父さんが、『あの一瞬の喜びは、それまでのすべてを清算してあまりあるものだったよ』と言っている。今はまだわからないけど、何十年と積み重ねてきた年月の中で、これまでの辛く苦しい想いを全てを清算してあまりある喜びが待ってるんだと思う。

 

それがくるのはいつかわからない。寿命が尽きる直前かもしれないし、あと10分後かもしれない。

 

だから辛く苦しいと感じながらも、私は本を読みながら、これまで進んで来れたのかもしれない。

 

改めて、カラフルという偉大な本に出会えてよかったと思うし、この本を全ての人に読んでほしい。

 

使ったお金がその人の一部をつくる(しあわせのねだん/角田光代)

角田光代さんの「しあわせのねだん」という本が好きで、何度も再読してきた。

20代に使ったお金お金がその人の一部をつくる。
という言葉が印象的だった。

アラサーになり、20代で使ったお金が私の何になっているのか考えてみた。
20代はとにかく海外のいろんなところに旅行に行っていた。
旅行に行くことを楽しみに仕事をしていた。
間違いなく海外旅行にはお金をかけてきたと思う。

海外旅行に行ったことが何か目覚ましく私の人生に影響しているかと言われれば、そんな大したことはない。(笑)
だけど、先輩と海外旅行の話をしたときに、そんなにいろんなところに行ったことあるの!と驚かれた。
だから、人よりはいろんな国に行く機会に恵まれていたんだろう。

コロナが関係ないんだとしたら、海がきれいなところゆっくりしたいならあの国、買い物や美味しいものを食べたり少し都会的なところならあの国、何もしたくないから、ただただ癒されたいならあの国 とその時々の自分の状態で行きたい国が思い浮かぶ。

それが何かの役に立つかは正直わからない。
でも、20代で使ったお金は確かに自分の一部になっているなとは思う。

海外旅行のほかに20代の時にお金をつかったのは本代。
いろんな本に触れて、大きな影響を受けてきた。
だから、落ち込んだり、悩んだりしたときに、自力で這い上がれるように、お気に入りの本はいつも本棚にそろえてある。

本当に社会人をやっていると、ありとあらゆることに落ち込む。
でも正直、リアルタイムで話しを聞いてくれる友達なんていない。
いたとしても、話を100%理解してもらうのは難しいと思うのだ。自分のことやその周辺で起きていることはやっぱり、当事者の自分以外には6割くらいしか伝わらないと思う。

そんな時に、本は救ってくれる。
失敗したり、失恋したり、その他ありとあらゆる落ち込みに対して、万能に対応してくれるのが本を読むことだと思う。

正直、読書家の人に比べれば、読んできた本の数は圧倒的に少ないし、偏っていると思う。だけど、自分を救ってくれた本には感謝の気持ちしかない。
だから、noteでも恩返しのつもりで読書の感想をつづってきた。

そう考えると確かに本も私の一部になったと言えると思う。

30代の今使っているお金は40代でどのように生きてくるんだろう。
正直、今やりたいことは、コロナ禍でどこにも行けないので、家を自分のオアシスにしたいということ。

在宅勤務の環境は完璧に整い、もはや、会社のデスクよりも快適になった。
だから、今度は実生活の部分の天国レベルくらいにしていくことが野望だ。

 

春の歌

スピッツ大好きなのですが、毎年この季節になると、春の歌を聴いています。

 

”重い足でぬかるむ道を来た
とげのあるやぶをかき分けて来た
食べられそうな全てを食べた”

 

”平気な顔でかなり無理してたこと
叫びたいのに懸命にほほ笑んだこと
朝の光にさらされていく"

 

この歌詞を聴いた時、ああ、自分のことを分かってくれてる人がこの世界にいてくれてよかったと思いました。(笑)


私の能力では到底言い表せない気持ちを、この短い歌詞で的確に表してくれたことに胸がいっぱいになりました。

 

誰しもそうですが、人生生きてると思い通りにならないことや思いもよらないことが山ほど出てきます。でも過去振り返ってみると、私のようなスペックの人間には到底乗り越えられないだろ、と思うような大波が信じられないスパンで来ることがあったのです。

 

自意識過剰だと思いますが、あのときよく頑張ったなーと思うことがあります。そのときは夢中でしたが、心が晴れず、暗いトンネルの中を歩いている気持ちでいました。

 

その時のことはもちろん自分の中で昇華していますが、スピッツのこの歌詞を聴くたびに、あの時の頑張り尊くを感じられるのです。

 

今まさに辛い最中にいる人も必ずいつかは抜けだせるので、春の歌を聴いてほしいです。

井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る

井の中の蛙大海を知らず」ということわざ(?)は昔から知っていたのですが、そのあとに言葉が続くと知ったのは大人になってからです。


「されど空の青さを知る」という言葉がそのあとに続くのですが、初めてきいたとき、不思議な感動を覚えました。

 

私はアラサーなのですが、正直なところ、実物の井戸を見たことがありません。
井戸と聞いてイメージするのが、となりのトトロでさつきが井戸水をくみ上げるシーンです。底が深くて冷たくておいしい水が飲めるというイメージ。
井戸はそれほど大きくはなく、大人二人が手を繋いで円を作ったくらいの大きさだと勝手に思っています。
だから、井の中の蛙 と聞いてイメージする井戸の大きさもそのくらいです。

 

これまで生きていて、自分が井の中蛙だなーと思うことばかりでした。
小学生から中学生になった時
中学生から高校生になった時
高校生から大学生になった時
大学生から社会人になった時
などなど。全てにおいて自分はなんて狭い世界にいたんだとそのたびに驚きました。自分がいた井戸は狭く小さいものだったなーと。

 

学生時代は学校が変わる節目がありますが、大人になると、何年生という概念がなくなります。


そんな中で、一番印象に残っているのは、初めて海外旅行に行ったとき。
行先はグアムで、友達に誘われて行ったのですが、正直なところ、その当時は海外旅行というのにそれほど興味もなく、英語が話せないし、大丈夫かなーと不安な気持ちのほうが大きかったように思います。

 

が、いざ、グアムに着くと、気分は一転しました。
気候も空気も空も海も全てがキラキラ輝いていて、日本とは全く違いました。
ただ、歩いているだけなのに、うきうき楽しい気持ちになったのは、生まれて初めてだったかもしれません。
そして、なんと言っても海。
あんなにきれいな海をそれまで見たことがありませんでした。


絵の具の青いチューブを溶かしたような青い海の色。
透き通って浸けた自分の足がそのまま見える無色透明な海の色。


景色を見て、うわーーーー!!っと思わず声が出ることはしばらく経験がないことでした。
とにかく圧倒され、感動しました。ずっと笑っていました。

 

それ以来、海外旅行にすっかりはまりました。
海外に魅了されました。自分には見たことがない風景が山ほどあるんだと身をもって知ったからです。

 

見たことのない景色
食べたことのないもの

初めて聴く言葉
そこで暮らす人々

 

なにもかも日本とは違いました。
あちこち国内旅行もしていたあとだったので、正直なところ、国内で新しく見聞きするものがほとんどなくなっていました。
だから、新しいものづくしの海外は魅力的だったのです。

 

ただ、何度も海外に行くにつれて、グアムに初めて行った時のようなあの感動をすることも少なくなっていました。
もちろん、楽しさあるのですが、グアムのときのようなあの感動には到底及びませんでした。

 

そして、日々の生活もどこか毎日ルーティーンのようで同じことの繰り返しのような気がしています。


自分のいる井戸の中を探検しつくして万策尽きたのが今のような気がしています。(笑)もちろん、今いる井戸から見上げた空の青さの良さも知っています。
とてもありがたい環境にいることへの感謝しています。

 

だけど、やっぱり今よりも広い世界も見てみたい。
井戸の大きさを広げていくのも、別の井戸に鞍替えするのも自分自身しかできないんですよね。
家の中でゴロゴロうだうだしていえは広がるわけもなく、とはいえ、このご時世、外でふらふらすることもできずに、その方法を模索しています。

 

既にnoteにも載せていますが、家でもできる新しいことは何か、考えて、お菓子作りをしてみたり、料理をしてみたり、瞑想をはじめてみたりしています。

瞑想はあやしい?と思い躊躇していたのですが、大企業の研修でも導入されていると聞き、初めてみたのですが、とても頭がすっきりするようになりました。

いつもテレビがついていたり、本を読んでいたり、音楽がかかていたりといろんなところに気が散っていたのが、自分自身に意識を向けるようになり、心持が穏やかになったような気がしています。

 

広い世界を見てみたい。
コロナ禍であってもそれはできるような気がするのです。