アラサーOL 頑張らない日々

読書好きアラサーOL@都内 お一人様爆走中で何をするにも基本ソロ活動。将来の夢はものを書いて生計を立てること。

コンプレックスとの向き合い方

コンプレックス、ありますか?
私はコンプレックスの塊です。正直、自分自身に何の自信もなく生きてきました。

 

特に、学生時代、どうしたらもっときれいになれるかと鏡を眺めていました。当たり前ですが、いくら眺めても変わらず。(笑)
髪型を変えて雰囲気を変えてみたりと色々と試行錯誤してましたが、やはり、顔面は変わらず。(笑)

 

最近、後輩と話したときに、今の大学生の子たちは、長期休暇を利用して、整形する子がとても多いと聞きました。
私のころとは時代がちがうと、改めて痛感しましたし、私も古い価値観の人間だと実感しました。

 

今はどうなのかわからないのですが、私の学生時代は、アイプチをしている子がたくさんいました。私自身、奥二重なのですが、顔がむくんで二重の幅が狭いときには、アイプチを使って幅を広げたりしていました。
面倒くさいなーと思うときもありました。

 

でも、アラサーになり、だんだん自分の顔に愛着をもつようになってきたのですよね。
それは、美しいとかかわいいとかいう概念とは全く異なるもので、そうそう、これぞ自分の顔だな、という顔になってきたような気がするのです。
何度も言いますが、それは顔の造形が美しいとかかわいいという概念とは全く別のものです。(笑)

 

アラサーになり、自分の顔との付き合いも長くなってきました。
恋愛したり、失恋したり、幸せだと思ったり、仕事で疲れ切ったり、風邪をひいたり、元気いっぱいだったり。
当たり前ですが、どんな時も、この顔とこの身体と常に一緒に乗り越えてきました。
それがね、全部顔に刻まれているような気がするのです。


こないだ、片づけをしていたときに、10年まえにパスポート用に取った写真や、学生時代の写真が出てきました。
まずね、驚きました。
若かったから(笑)ものすごい若かったから(笑)

 

それは、自分が節目だと思っているたくさんのいいこと、辛いことを経験する前のツルんとした顔で、若く、未熟で、不完全な顔でした。
確かに自分の顔なんですが、進化前だなーという感じ。(笑)何度も何度も言いますが、顔の造形が美しいとかかわいいとかいう概念とは別のものです。(笑)
生まれたばかりのときや幼稚園のときの写真を見ているのともまた別の感覚なんですよね。

 

年を取ったからなのか、コロナの影響なのか、なんなのかわかりませんが、昔感じていたコンプレックスの多くは、なんとも思わなくなりました。

 

コンプレックスよりも年齢を感じるようになり、外見よりも自分の内面を意識するようになってきたように思います。


そして、なんと言っても年齢を感じるようになり、やわらかい顔になったなーと思います。

 

テレビや雑誌に出ている女優さんやモデルさんは美しくきれいで、それ自体が秀でた才能だと思います。
若いころはそれこそ、その人達に憧れ、少しでも近づけないかとも思っていましたが、今では純粋にその美しさがただただ神々しいと思うだけになりました。

 

自分は自分だから、これで十分でこれが最高だと素直に思うようになりました。
言い換えるといい年になったなー。というような心持です。


若いことがどれだけ素晴らしいか、今ごろ分かってきましたが、それぞれの年に合った出来事を楽しんでいきたいと思っています。


自分のための人生なので、自分自身が満足していたらそれで充分なのですが、欲を言えば、美しい、可愛いと思われなくていいから、いつも楽しそうだと周りから言ってもらえるように自分の内面を磨いていきたいです。
どうしたら内面が輝くのか、それを真剣に考えようと思います。

暇つぶしのススメ

これまで予定がないとき、暇なときの時間つぶしと言えば、スマホYOUTUBEを観ることでした。
が、気が付いたのです。それってかなり受動的で、果たして楽しいのか??と。

もちろん、楽しいと思い込んでいたのですが、だんだんと持て余してきました。もう少し、自分のためになることをしてみたいと思って、いろんなことに手を出してみたので、紹介させて頂きます。

毎日同じことの繰り返しでつまらないなーとか、楽しいことないかなーと思う人はぜひ試してみてください。
新しいことやるの、楽しいですよー!
ちなみに、私は友達少ないので、どれもこれもひとりでできるものばかりです。(笑)


2021年はもっと新しいことにチャレンジしたいです。どんな小さなことでもいいので、おすすめがあったら、教えてほしいですー!!

 


①料理、お菓子作り
自炊しているのですが、料理って面白いです。
でも、食べたいものを自分で作って、好きなランチョンマット、好きなお皿で手作りのものを食べてる時って幸せなんですよね。
インスタとかにアップしても見劣りしないくらい、なんかおしゃれなご飯が
今はクックパッドがあるので、レシピを簡単に確認することができますし、なにより、この野菜の栄養素はなに?と色々と興味をそそられます。

特に、お菓子作り、意外にも楽しいのです!笑
YOUTUBE辻ちゃんがお菓子作りの動画を載せていたのですが、なんか楽しげだったので、簡単な物ならつくれるかなと思いやってみたら、すごい楽しかったのです。
スタバスコーンはとても簡単で私でも出来ちゃうので、かなりおすすめです。しかも、オーブンで焼いているときのにおいがすでに美味しくて幸せいっぱいな気持ちになります。

 

②お皿、マグカップ集め
料理やお菓子にはまると、お皿やマグカップにも凝りだします。
まだ、コロナがはやる前は、国内海外に旅行に行くたびに、その土地のお皿を買って帰ってきていました。
今は旅行にも行けないので、ネットで商品を見て、喜んでいます!(笑)

 

・amai
ベトナムに旅行に行ったときに、買ったのですが、もうね、最高に可愛くて、お店中のお皿を買い占めたいと思うほどでした。
2時間くらいお店にいたと思います。(笑)
ネットで購入することもできるようなのですが、私としては、またいつか現地のお店に行って幸せ気分に浸りたいと思っています。
https://tripping.jp/asean/vietnam/ho-chi-minh/76017


ベトナムは雑貨天国で、amai以外も可愛いお皿が売っているお店がたくさんあり、そこでもいろいろと買い占めていました。(笑)

 

・アンソロポロジー
NYに旅行に行ったときに発見したお店なのですが、ここのお皿も超絶可愛いです。雑貨も売っており、小躍りしながら買い物してました。
いつかまた行きたいなー。
https://jp.anthropologie.com/ja-jp/home?sortBy=featured-home


・小泊良さん
石垣島に旅行に行ったとき、小泊さんのマグカップを見つけて一目ぼれして購入しました。
インターネットで検索すると、もっと素敵なお皿もたくさんあって、眺めて喜んでます。
https://ryokodomari.jimdofree.com/works/


佐藤尚理さん
ずっとずっとお皿かわいいーーと思ってみているのですが、いまだ手に取る機会がなく、まだ購入できていないお皿たちです。
ほんっとに可愛いのです。このお皿に自分の作った料理やお菓子を載せたら最高だと思うのです。いつの日か家にお迎えしたいです。
http://bonoho.com/

 

 

③ジムに行く、身体を動かす
社会人になってからほとんど運動してきませんでした。
そんなに身体を動かすことも元々好きではありませんでした。
だけど、アラサーになったので、健康に気を付けようと思い、その一環で、ジムに初めて行ってみたのですが、結構楽しいのです。
筋トレしたり、テレビを観ながらランニングしたり。
一通り運動した後は、ジムのお風呂で汗を流してさっぱりして。
控え目に言って最高です。(笑)

ジムのお風呂はスーパー銭湯のようにいろんな種類のものはないですが、でも、自宅よりも広いお風呂が癒されるのです。(笑)
しかもジムの料金はスーパー銭湯に行くよりも安かったりするので、筋肉痛で、あまり身体が動かないときは、お風呂メインで行ったりしてます。
お金をかけずに、楽しく満足できるの、本当に最高です!

 


③美容を意識してみる
綺麗になりたいという意識は誰にでもあると思うのですが、どうやったらいいのかよくわからずに、自己流にメイクしてました。
が、プロ?の人に自分のメイクって合ってるのかを診てもらい、メイクアドバイスをしてもらえるサービスがあることを知ったので、行ってみたところ、これまた面白かったのです。
自己流メイク、じつはへんてこりんなやり方だったということが分かって、そこを変えて会社に行ったところ、なんか雰囲気変わった、若くなったね、と言ってもらえたのです。

メイクのやり方を変えたところでテレビに出ているような女優さんみたいになれるわけではないのですが、いろんなメイク道具や商品にも興味を持ち楽しくなりました。

今はコロナの影響で当時とおなじようにメイクレッスンをやっているのかわかりませんが、興味がある人にはお勧めですー!

 


④日記、ブログを書いてみる
こういう習慣のない方は、めんどくさい極みだと思うのですが、先日部屋を掃除していたところ、過去の日記が出てきました。
20代半ばのころのものだったのですが、なんか、しみじみと当時のことを思い出しました。今や、周りは結婚し、子育て中なので、なかなか会えないのですが、当時はまだみんなで遊びに行っていたので、忘れてしまっていた思い出を思い起こして、とても懐かしくなりました。

自分だけが見る日記でもいいですし、匿名でブログをやるのもいいと思います。どちらももちろんタダでできます。
私はnoteとはてなブログをやっているのですが、ブログを見てます!と言ってくださる方がたまにいて、それが本当に本当にありがたく、うれしいのです。
他の方が書かれているブログもとても面白く、コロナで閉塞感のある生活を解消させてくれています。

それから、自分の考えを表に出すっていうのは素晴らしいことだと思うのですよね。
2021年になって今までとは時代が変わってきているなーとひしひしと感じるのです。
有名な方だけでなく、私のような一般人も自分の思っていることを発信していくことができ、個性を出していけるようになったと思うのです。
社会人の方は会社で働くときには、極力個性を出さず、社会人然としていると思うのですが、今までと同じようにそんなことをしている時代ではなくなってきていると思います。
昨日と同じことを今日も1年後もしているのだとしたら、自分の世界が広がっていかないと思うのです。
今知っている自分の世界が全てではない、自分が生かせる場所がここではない別のところにあるかもしれないのです。
だから、可能性を広げていくために、今までゴロゴロしていた時間を別のことに充ててみるの、楽しいと思うのです!

 


⑤婚活
独身なので、婚活に励んでいました。
婚活は、正直あまり面白いと思いませんでした…。
結婚したいと思ったときに、外に出ていかないと、どうしようもないのですよね…。家の中で踏ん張ったところで誰かと出会えるわけでもなく。
だから、暇だなー何の予定もないなーという時には、婚活していました。
私はアプリではなく、婚活イベントに参加していました。
もうやめようと思ったときに、思わず、恋人ができたのですが、そこからは今までの自分が見たことのない景色をたくさん見せてもらいました。
素直に、この経験ができてよかったと心から思います。
結婚していてもしていなくても幸せになれるのですが、人付き合いが苦手な私でも人と一緒にいるのも悪くないなと思いました。

 


⑥花を飾ってみる
なんか心がささくれだっているなーと思ったときに、花を買って飾ってみたのですが、不思議と気分が落ち着きます。
150円くらいでものによっては2週間くらい楽しませてくれます!

100年先も残る文章を書きたい。表現をしたい。

とんでもない夢かもしれないですが、正直、私はものを書いたり、何かを表現することで生計をたてていきたいと思ってます。

 

私自身、今までのたうち回りながら生きてきました。
ずーっと生きづらいと思っていました。
学校に行けば、友達を作るのに苦労し、大学受験は失敗し、社会人生活はすべてのことに七転八倒してきました。


みんな自分と同じように苦しんでいると思っていたのに、あれ、なんか違くないか…?と高校生くらいから気が付き始めました。


周りを見渡すと、私が苦しみながらやっていることを、息を吸うようにたやすくやってのけて、楽しそうに生きている人達が多いなと気が付いたのです。


あー、苦しんでるのは私だけなのかもしれないと思ったとき、これ、あと何十年続くんだ…と絶句したことをよく覚えています。

 

みんな学校へ行けば、仲のいい友達をつくり、自分のやりたいことを勉強し、社会人生活をそつなく要領よくこなす。

 

苦しまずにいろんなことができる人達は、七転八倒せずに、生活を送れると思います。だけど、私には、定年まで歯を食いしばって他の人と同じような生活を送っていくのはどう考えても現実的じゃないなと思ったのです。

 

何も考えずにこれまでと同じような生き方していたら、もうね、絶対に後悔すると思ったのです。
もう、自分の人生を生きていきたいと心の底から思うようになりました。

 

今までもnoteやはてなブログでいろんなことをつづってきました。
読んでくださる人がいることがひたすらありがたく、うれしいです。


生きづらいと思った私が救われた本とか映画とか言葉とかその他雑記とかを徒然なるままにつづっています。

 

だけど、自分がつづっている文章って、果たして百年後も読むに値するものなのかとふと思ったときに、愕然としました。(笑)
当たり前だけど、今この瞬間だけのものを書いていたんだなーと。

 

人の心を大きく揺さぶるものや、感動させるものは書いていなかったなーと。書ける実力があるかどうかもわかりませんが、2021年、新しい時代に新しいことを挑戦してみたいと思っています。

 

 

清少納言枕草子の春はあけぼの~は高校時代に古文の授業で勉強しました。古文は必須科目から外してもいいのでは?という意見もあるようで、もしかしたら、今後、若い人達が目にする機会がなくなってしまうのかもしれないのですが、私は枕草子のあの冒頭の文章、とても美しと思います。


正直、高校のころはよく分からなかったのですが、年取るにつれて、しみじみといいなーと思うようになりました。

 

そんな風に時代が変わっても人の心を打つような美しい文章を書いたり、表現をしていきたいです。それを目標として、これからも文章を書き続けていきたいです。(とはいえ、日記のようあ雑記を書くのも好きなので、引き続き書き続けると思いますが。笑)

悪しき習慣が変わる時代(えんとつ町のプペル)

えんとつ町のプペル、観てきました。
面白かったです。
お金を払って観るにふさわしい映画でした。とてもこころゆさぶられました。
事前にネットを観るといろんな評判がありましたが、よかったですよ、素直に。

 

私はクラウドファウンディングや吉本興業のことはよくわからないのですが、何年か前、ぼーーっとテレビを観てた時に、西野さんが出ていました。確かアナザーストーリーだったと思います。

 

時計の針は毎時一回は重なるようになっている。
だけど、11時台は長針が逃げ切ってしまい、重ならない。
人生もこれと同じ。
何かを成し遂げる前には不遇の時期がある。
何をやっても報われない時がある。
でも時計の針は一周回って必ずお前のところに合うから。とにかくそこに居続けてコツコツやり続けてみろ。

 

西野さんがタモリさんからかけられた言葉だったと記憶しています。(認識違っていたらすみません)

 

当時、何もいいことがなく、辛いことばかりのオンパレードだった私は、本当にこの言葉に救われました。
アラサーになってもアラフォーになってもずっとこんなふうに過ごしていくんだとばかり思ってたのです。
私には11時台しかない人生なのかもしれない、と。


でも、こんな私でも一生懸命やっていれば、もしかしたら、時計の針が重なる瞬間があるのかもしれない、未来に光があるかもしれないと確かな希望を持たせてくれた言葉でした。


好きな本を読んでも、好きな音楽を聴いても、心が動くことのなかった当時の私を唯一救ってくれた言葉でした。

 

 

えんとつ町のプペルは絵本でも読んだことがなく、前知識なしでいきましたが、どんなメッセージを映画にこめたのか楽しみにしてました。


今、世の中で当たり前だとされていることは、悪しき習慣だったりするのかもしれないと痛感しました。
みんなが当たり前だと思っていることが正しいことだとは限らないんですよね。。

 

友達は多い方がいい。
いい大学に行きいい会社に入ったほうがいい。
会社に入ったら辞めずに働いた方がいい。
妙齢になったら結婚し子供を産んだ方がいい。
会社で嫌なことがあってもお給料をもらっている身だから我慢しなくてはならない。
働かなければならない。
テストで良い成績を取らなければならない。

 

 

これ、合ってるんですかね。
合ってるわけないんですよね。
半ば洗脳されているんですよね、こうやって生きていかなければならないと。
そうしないと、社会にとって不都合だから。

生きていくことは総じて大変で、辛いことは仕方がないのだとみんな思ってますよね。
でも、今まではそうだったかもしれないけど、そういう世の中も変えていけるんじゃないかなと思うんですよ。だってもう令和ですよ。そんな根性論みたいな根拠のないこと、まだまだ続くのかと思うとうんざりしてしまいます・・・。

 

映画でも同じようなシーンが出てきますが、今までにない考え方をして、そこで新たなビジネスチャンスを生み出したり、才能を開花させることのなにがいけないんだろう・・・。


批判している人たちは、それに匹敵するような斬新な考えを持ち合わせているのだろうか。
出る杭は打たれるといいますが、そんなことしていたら、いつまでたっても、何も変わっていかないですよね。それってほんとつまらない。

 

正直、私自身は、西野さんのファンというわけではないです。
でも、アナザースカイでの言葉や映画で、素直にすごいなーと思うのです。


自分には同じような考えやアイディアもないですし、あったところでそれを実行に移すような資源も資産も行動力もなにもない。

 

率先して新しいことをする人にいろんな意見があるのは当然だと思うのですが、それが応援するような温かみのある言葉ではなく、罵詈雑言だとするのであれば、とても悲しいことだと映画を通して思いました。

 

私の祖父母は戦争経験者です。
その時代のことをもっときちんと聞いておけばよかったと今更ながら思いますが、祖父母にとっては戦争が日常だった幼い時があったのだと思うと、心が痛みます。


その当時、当たり前だった戦争は今はなくなり、平和を当たり前な日常に変えていこうという時代になりましたよね。

 

だから、きっとこれから先もいろんな悪しき習慣やしきたりは変わっていくと信じています。
全ての人が希望を持って進んでいける新しい時代が令和であればいいな。
そして、そのために自分自身、何ができるか考えていきたいと思います。

久々に観た映画がプペルでよかった。

 

 

鬼滅の刃のようにブームになって欲しい(横道世之介/吉田修一)

最近、スマートフォンの充電の減りが早く、ちょっとした電車の移動時間が手持ちぶさたになってしまうので、本を持ち歩いて読むようにしています。

 

今も昔もずっと好きで定期的に読み返している吉田修一さんの「横道世之介」を移動のお供にしていたのですが、久々だったので没頭しすぎてしまい、家に帰ってきてからもずっと読んでいて、その日のうちに読破してしまいました。
電車の中で、笑いを堪えきれず、普通に肩を震わせて笑ってしまうシーンがたくさんありました。

 

本が好きな人はもう何度も再読されている方もいると思うのですが、横道世之介は以下に当てはまる人におすすめです。おすすめどころの話ではなく、お金払って本買ってあげるから、読んでみて!という心待ちですべての人に読んでほしい本です。(笑)


鬼滅の刃が話題になっていますが、個人的には世之介もブームになってほしいのです。誰もが世之介の本が家にあるような世界になってほしいのです。(笑)

 

・本が好きな人
・読書してみたいけど、どの本を読めばいいかわからない人
・読書は面倒くさいけど、暇なので、何か面白いことないか探している人
 (世之介は映画されているので、まず映画⇒本もおすすめです)
・友達がいなくて寂しい思いをしている人
・学生時代、あまりいい思い出がないけど、疑似体験したい人
・友達が欲しい人

 

上のいずれかに当てはまる人は世之介を読んでみてほしいのです!
私は友達が少ないですし、学生時代もキラキラした青春を謳歌したタイプではないのですが、世之介を読んで以来、なんだか、長い間一緒にいた友人を得たような気分になりましたし、楽しく面白い学生生活を疑似体験できたような気持になりました。


そして、自分の人生は世之介に出会えた人生でラッキーだったと心の底から思います。逆に世之介に出会えなかった人生を想像すると、すごく損している気がするのです。

 

本も大好きですが、映画も観終わった後の余韻が凄まじいです。

とにかく全ての人に読んで欲しい、観て欲しい作品です。読んで、観て損したという人は絶対にいないと私が保証します。

 

 

横道世之介 (文春文庫)

横道世之介 (文春文庫)

  • 作者:吉田 修一
  • 発売日: 2012/11/09
  • メディア: 文庫
 

 



 

 

仕事で悩んでる私へ(新卒の私へ)

社会人ってどんな感じなんだろうと内定後、不安でいっぱいだった。社会人になることが憂鬱で仕方なかった。

いざ仕事をし始めて、少なからずやりがいを感じることはあったけど、ほとんど辛く苦しいことばかりだった。

 

思い出したくもないことがたくさんあるけど、仕事で悩んでいた私(新卒の私)にどんな言葉をかけるか考えてみた。

 

拝啓 仕事で悩んでる私へ(新卒の私へ)

社会人となる4月1日が来ないことを切に祈ってた大学4年生の2月〜3月。

卒業が確定してたので、思う存分思い出作りに励んでいますね。旅行に行ったり、友達と遊んだり。とにかく思い残すことなく遊び納めをしてください。

 

第一志望の会社に奇跡的に入社することができたことは本当にありがたいことでしたね。

それは間違い無いけど、もし、あの時に戻れるなら、私は会社という組織に所属せずに生計を立てる道を一生懸命模索すると思う。

 

幼い頃から、将来の夢はなに?将来なりたいものはなに?という質問に、何も答えられなかった。

理由は世の中に数多ある職業や仕事の中にやりたいと思えるものがひとつもなかったから。

 

もちろん選択肢は沢山ある。

ケーキ屋さん、美容師、お花屋さん、看護師さん等々。

でも当てはまるものが何もなかった。

周りの友達がなりたいものや夢があることが羨ましいと同時に不思議で仕方なかった。

 

やりたいこともなりたいものもないけど、生活はしていかなければならない。だから漠然と安定した会社で定年まで勤めようと思っていた。

なんともさもしい考え方だけど。

 

ありがたいことに、第一志望の会社に内定はもらえた。

ただ、やりたいことがなかった私がその会社を第一志望にした理由は、会社の規模と知名度と給料だった。

いい会社に入れば幸せになれると思ってた。

だけど、会社という組織の中で仕事をすることがいかに自分に合わないかということを全く分かってなかった。

 

 

だから入社後、とにかく辛かった。

もちろん楽しいこともあったけど、93%くらいは辛いことで出来上がっていた。

 

会社という組織の中では、その会社で使い勝手がいい人間に仕立て上げられる。

だから素直に割り切ることができ、頭がよく、容量の良い人は割とすんなりおさまることができる。

だけど、私は、たっくさんある既存の仕事、職業の中からなりたいもの、やりたいことを見つけられなかった捻くれ者だ。

組織にきちんとおさまっていられるはずがないのである。金太郎飴のように似たような社員を量産していく会社に次第に違和感を感じるようになる。

頭が良くて、素直な人間だったらこんなんじゃなかっただろうにな…と今でも思うけど、それは諦めるより仕方ない。

 

そして、だんだんと就活生を見ると、この子はうちの会社にいそう、いなそう、というのがわかるようになってきた。

それが恐ろしかった。

 

なりたいものは何ですか?やりたいことはなんですか?と問われたら、今ある職業、仕事の中から選ばなくていい、と悩んでいた私に言葉をかけてあげたい。

選ばなくていいけど、自分の言葉で何をしたいか語れるようにきちんと思案し、答えを見つけること。それはどんなことでもいい。

捻くれ者でもいいし、会社勤めがうまくいかなくてもいい。それは人間失格では決してない。

きっと会社の仕事や人間関係がうまくいかなくて悩んでる人は沢山いると思うけど、それは自分が悪いわけではない。

うまくいかないことがその人自身のせいのようにあたかも洗脳されてるだけ。

食物アレルギーのようにその人にとって合う合わないはあるのだ。食物アレルギーがあるのはその人のせいではないのと同じこと。

 

不得手なものは不得手でいい。会社において自分の代わりはいくらでもいるから。

そのかわり、得意なものをきちんと見つけてそれを伸ばす努力をすること。

それできちんと生計がたてられるようにすること。

 

他の人がもうすでにやってること、みんなが踏みしめて道ができてるところで無理に自分を合わせなくていい。

それができれば、それに越したことはないけれど。そしてそれができる人は会社勤めに向いていると思う。

 

それから他の誰かを目標にして頑張らなくていい。私よりもはるかにスペックが高い人たちがやってることは私には難しい。

私は私にしかなれない。自分が誇れる自分でいること。

 

他の誰かと比べなくていい。

悲しいけど、どんなに頑張っても私が北川景子さんになることは不可能なのである。

容姿端麗な人はそれ自体がその人の才能であり個性である。

どんなに真似してもあの美しさに勝ることはできない。

 

言いたいことは何かと言うと、没個性化して、組織の歯車に無理してならなくていい、ということ。

生活のためにどうしても収入は必要だけど、本当に無理だと思ったら、限界が来る前に蹴りをつけて新しい道に進む勇気を持つこと。

会社の利益のために身を滅ぼすような選択をせずに、自分を大事にすること。

 

会社勤めをして早云年。

今私がやりたいことは、過去の自分のように苦しんでた人をどんな形でもいいから救いたい。

できればものを書くことでその人たちを救えたらこんな嬉しいことはない。

 

だから思いっきり会社勤めしたら、とっとと切り上げていいよー!と過去の自分に言いたい。

 

きっとこれから先、新卒から定年までずっと同じ会社に居続けることが逆にめずらしくなる時代が来るのかもしれない。

会社勤めをするのが少数派になり、自分自身で事業する人が多数派になるかもしれない。

 

どうなるかわからないけど、これまで当たり前だと思ってることなんて、半ば幻のようなものなんだから、ちゃんと軸足を持って進んでいくこと。

 

辛い思いをたくさんすれば成長できるわけではない。だから自分らしくいられる場所を自分で作ること。

そのために努力すること。

 

涙を流して歯を食いしばっている期間がいつまで経っても明けないのであれば、それはあなたがいるべき場所じゃないところにいるせいだから、全力で逃げること。

人生って楽しいよ。

楽しい場所を探すことに全力を注いでね。

頑張らなくていいよー!

拝啓 受験生の私へ

センター試験の日。

寒い日だったと思うけど、その記憶が薄いのは、受験結果がボロボロだったから。

人生が終わったと絶望の淵にいた私になんて言葉をかけるだろうか考えてみた。

 

 

拝啓 受験生の私へ

センター試験お疲れ様。

これまでの受験生活、それこそ雨の日も晴れの日も雪の日も毎日10時間以上、机に向かい続けてきましたね。

センター試験の自己採点が終わり、呆然としてる今やることは思いっきり泣くこと。

スッキリするから、とにかく泣き切ること。

ここで我慢すると切り替えられないから。

 

自己採点後、人生が終わったと絶望したことは今もはっきりと覚えている。

あんなに打ちのめされたことはなかったし、人生の中でこんなに分厚いどでかい壁で前が見えなくなることもなかった。

これからどうしたらいいのかわからなかったし、もう私の人生は大失敗だと思った。

もう巻き返せないし、これからは何一つ楽しいことなんてないんだと思っていた。

 

今でもたまに受験のことは夢に見る。

受験まであと数日だというのに、教科書、参考書は数ページしか読んでいないという状況で、どうしよう、、、と慌てている自分。

目が覚めて、あーーよかったーー、とホッとする。

というのを信じられないくらい繰り返してる。(笑)

だから強烈な経験を今まさに体感してるかと思います。

 

結論から言うと、行きたい大学に落ちたくらいで人生は終わらないから大丈夫。

そんなことくらいで人生が終わってたらやっていけない。

でも視野が狭くて、経験が浅い18歳にとっては死活問題か。

志望校に落ちた時の立ち直り方なんて、参考書にどこにも書いてないもんね。人生終わりだと思ってもしかないか。

 

アラサーになって振り返ると、あの時志望校に落ちたのは大正解だったし、私には必要な経験だった。

センター試験直後の私には信じられないかもしれないけど。

 

志望校に落ちて、併願した大学に行ったことで、そこから派生していった私の世界は何にも変え難いものだから。

そして人生には自分の思うようにならないことがつきものだということを身をもって知ったから。

志望校に落ちたゆえに経験できたこと、そこで出会えた人たちからうけた影響が今の私を作ってる。

今の私は偉人でもなんでもないけど、でも私は私のことを気に入ってる。

大した人間じゃないし、欠点だらけな私を好きになれたのは多分、受験という人生の岐路を経験したからだと思う。

例えば、今18歳に戻ったとして、合格、不合格を自分で変えられるとしても、私は喜んで不合格を選ぶ。

合格しない方が正解だったよ。

合格してたら、間違いなくすごく嫌な人間になってた。負け惜しみでなくそう思う。

 

結局、自分に必要な経験ができるような人生を送らようにできてるんじゃないかな。

自分の思うようにならないときに、絶望したり愕然としたりするけど、ながーーーい目でみると、自分で胸を張って正解だと思うようになってる。

 

私も歳をとったと言ってもまだアラサー。

これからもいろんなことがあると思うけど、結果オーライだと思って一歩ずつ進んでいくね。