アラサーOL 頑張らない日々

読書好きアラサーOL@都内 お一人様爆走中で何をするにも基本ソロ活動。将来の夢はものを書いて生計を立てること。

【読書のススメ】平成に置いてきた大事なもの(リズム/森絵都)

リズムは20年位前に読んだことのある作品です。
ツイッターでリズムの感想を載せている方がいらっしゃって、読みたい思いが湧き上がってきて再読。

本の内容までは覚えていなかったのですが、リズムは本を開いた瞬間から素晴らしかったです。

 

まわりのことが気になって
自分がメチャクチャになりそうなとき、
心の中でリズムをとるんだ。
まわりの音なんて関係ない
自分だけのリズムを

 


カラフルのときも、タイトルのセンスに度肝を抜かれましたが、今回もタイトルの意味を知り、ますます森さんが好きになりました。

 

作品は平成初期のころに書かれたもので、時代の違いを感じました。


平成初期なんて、ついこないだと思っていたのですが、平成元年生まれがもうアラサーになっているのだから、その分時代は確実に動いていることを実感しました。
特に、携帯電話(ガラケー)が出てこないことがとても新鮮に感じられました。

 

固定電話はあるけど、携帯電話のない時代は、今から見れば不便ですが、この作品から感じられたのは、人との距離の近さや温かみでした。

 

リアルタイムで連絡を取ることができるという便利さと引き換えに、今は人との距離がどんどん遠く感じられる気がしました。


世界中のどこにいても、LINEで顔を見ながら話をすることができることは平成初期には考えられなかったことだと思います。
ドラえもんの世界ですよね。

 

人との出会いもとても便利になったと思います。
インスタグラムを使えば会ったことのない人とも連絡を取り合えると後輩に教えてもらい、びっくりしました。

 

私が古くさい人間なのかもしれないですが、携帯電話のない時代で中学・高校生活を過ごしてみたかったです。
話したいときには固定電話を使ったり、手紙を書いたり。

インスタントカメラで写真を撮って、現像してもらって、写真を受け取って。


少し不便ない時代の思い出の方が深く強く残るような気がします。

 

今年は2020年。令和2年。
今は分からないですが、30年後に振り返った時、当たり前ですが、時代を感じさせる不便なことがたくさんあるんだと思うと不思議な気持ちになります。

 

2019年の終わりに

令和元年も残りわずか。

 

今年はとにかく読書熱が再燃した1年。

又吉さんの第2図書係補佐をきっかけに本の面白さに魅了された。

 

なにかの答えを探すかのように取り憑かれたように本を読んだ。

本の中に出てくる沢山の人の気持ちや考えを知った。

それをただひたすらに繰り返した先に見えてきたことは自分のこと。

今まで自分のことってよくわからなかった。

自分探しなんて言葉もあるけど、ここにいる自分のなにを探せば答えが見つかるのかも分からなかった。

 

でも、すこーしだけ分かった。

 

そして生きていくために必要なことは優しさと思いやりだと痛感した。

来年からはそれを養っていきたい。

 

今日は暖かくて大掃除がはかどった。

ギボムスを笑いながら観て癒された年末。

しあわせ。

 

 

【読書のススメ】千と千尋を観たときの圧倒される感覚(手のひらの音符/藤岡陽子)

素晴らしかった。
とにかくこの本を読めたことに心の底から感謝したい。
感想は一言では言い表せないけれど、私の大好きな千と千尋の神隠しを観たときの圧倒されるような感覚と同じものを感じた。
とにかくひとりでも多くの人に読んでほしい。
この本を読まないのは本当にもったいない。

 

登場人物全員のことがとにかく大好きになる。
小中高、教室にいたクラスメイトと重ね合わせて読んだ。

 

全てが印象的すぎるけれど、私が一番腑に落ちたのは、誰からも愛されて、将来を期待されるような人は、なぜか早く亡くなってしまうということ。

 

知人で、若くして亡くなった人がいた。
いつも周りにいる人を笑顔にしていた人だった。
思い出すのはいつもニコニコしている姿。
勉強もスポーツもなんでもそつなくこなし、友達も多かった。
たくさんの人から愛されていた。

 

ある日突然、亡くなったと聞いた時は、本当に冗談だと思った。
悪い冗談で、びっくりしたでしょ?と笑いながら、種明かしをされるに決まっていると本気で思った。
いつになったら、種明かしされるのか。
待てど暮らせどそんな知らせはなく、布団に横たわり、いつまでたっても起きてこない姿を目の当たりにして、亡くなったときちんと理解した。


こんな悲しいことが世の中にあるのだとそのとき初めて知った。
今でも、その光景は忘れられない。

 

子供の時にそんな経験をすることの過酷さは想像の遥か向こう側にある。
そんな中でも、なんとか自分の足で立って、生きていこうとする姿に胸を打たれた。
どうにかして元気になってほしいという周りのやさしさにも涙があふれた。

 

人はひとりきりでは生きていけないのだと思う。
辛いときや苦しいときに、それを乗り越えるのはほかならぬ自分自身だけれど、振り返ってみると、そういうときに支えてくれてた人が必ずいた。
何も言わずにそっと寄り添ってくれるその温かさがどれだけありがたかったか。


仕事、恋愛、人間関係などなど、理不尽なことを挙げれば尽きない。
ただ、生きていくということは理不尽なことだらけなのだと思う。
その理不尽さと対面したときの闘い方は人それぞれなのだろう。
正浩の言葉がすーっと入ってきた。

 

それから人との出会いと別れについても考えさせられた。
これまで何人の人と出会い、別れてきたのだろう。


学校の卒業式で別れて以来、会わなくなってしまったたくさんのクラスメイト達の顔が浮かんできた。
あの当時は毎日毎日顔を合わせ、それが当たり前だった。
卒業式を境にもう何十年も会わなくなるなんてことの方が非現実的だった。
子供だったから仕方ないよな。

 

今ならわかる。
毎日顔を合わせ、同じ方を向いて、同じことを勉強した日々がどんなに尊いものかということ。

ずっと続くような気がしていた毎日は、いつかは必ず終わりが来ること。
そして、生きているうちにもう二度と会わない人もいるのだということ。
会いたくても会えなくなる日が来ること。
たくさんの思い出も大人になると忘れてしまうこと。

 

人と別れるとき、これで会うのは最後ですよ!と何か合図でもあればいいのになと思ってしまう。
そうすれば、心置きなく、ありがとうもさよならも言えるはずなのに。
たくさんの人にお世話になってきたけど、その中の多くの人はもう再会することはないのかもしれないと思うと、とても寂しい気持ちになる。

 

周りにいる人達にきちんとありがとうと言おうと思った。
いつでも言えると思っていても、別れはこちらの意図に反してやってくるから。
そして、目の前にいる人をもっともっと大切にしようと思えた。

 

手のひらの音符

手のひらの音符

  • 作者:藤岡 陽子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/01/22
  • メディア: 単行本
 

 

 

【読書のススメ】みんな幸せでみんな不幸(本屋さんのダイアナ/柚木麻子)

話題になっていた本でしたが、ぐいぐいと引き込まれた。
文章が優しくて、平日の寝る前に心底癒されながら読んだ。
ページが少なくなるのが寂しくて仕方がなかった。

 

優等生で美人で裕福な彩子。
金髪で美人で片親のダイアナ。

 

正反対な二人はすぐに仲良くなる。
自分にはないものを相手が持っていることに羨望と少しの嫉妬を抱えながらも、お互いを大切にしながら日々を送っていく。

 

この本にはいろんなタイプの女の子、女性が出てくる。
彩子とダイアナと二人の母親と二人のクラスメイト。

全員の気持ちが理解できる。女性ならではの複雑な気持ち。

 

自分にないものを持っている人は、幸せに違いない。
悩みなんてあるはずがない。

 

そんな風に思ってしまいがちだけど、実際、その立場になってみないと全くわからない。
悩みが一つもない人なんていないのだ。

 

みんな平等に試練がある。そのタイミングは人それぞれに違うから、自分が悩んでるときに周りが幸せそうに見えてしまうだけで。

 

何不自由なく生活でき、勉強に打ち込むことができる彩子が感じる閉塞感やしんどすぎる虚無感。
水商売で働く自由な母親に大穴(ダイアナ)と名付けられ、その特異な名前にいつどんなときも振り回され、経済状況から進学を諦めなければならないダイアナ。


二人とも理不尽な思いをしながら大人になっていく過程が描かれている。
どちらかが幸せでどちらかが不幸ということはない。
どちらも幸せでどちらも不幸なときもある。

 

与えられた境遇は変えることができない。
でも、それに打ちひしがれて何もしないのはただの怠慢である。


彩子もダイアナもなりたい自分になろうと懸命に前を向いている。
時に横やりが入り、他者に邪魔されても、きちんと軌道修正して、前に進んでいる。
呪いにかかったとしてもきちんと自分でその呪いを解いている。

 

自分の人生の責任が取れるのは自分だけ。
なりたい自分になれるのも自分だけ。
環境のせいにしたり、人のせいにして文句を言うのは呪いにかかっている証拠なんだと思った。

 

そして、自分の名前を改めて考えてみるいい機会になった。
名前に込められたような生き方ができているだろうか。

 

 

本屋さんのダイアナ (新潮文庫)

本屋さんのダイアナ (新潮文庫)

 

 

 

【読書のススメ】私の働き方改革(働く女性に贈る27通の手紙/小手鞠るい 望月衿子)

仕事、恋愛、結婚、出産、子育てなど、女性にとってライフイベントに関する悩みは尽きないけれど、全ての女性にオススメできる一冊。

 

独身アラサーの私は、結婚に悩んでいたころもあったけど、今では潔く諦めが付き、悩みの種はもっぱら仕事。

このタイミングでこの本を読むことができたことに本当に感謝している。

 

失礼ながら、驚いたことに、小手鞠さんとの共通点がとても多い。
地元には戻るつもりがないこと、会社員の仕事は自分には合わないと思うこと、人付き合いが苦手なこと、ものを書くのがすきなこと。

私と同じような気持ちの人に出会えて感動してしまった。

 

中堅社員になった今、考えるのは、あと何年働くんだろうということ。
結婚は果てしなく遠く、遠いどころかまるで違う星の話のように思っている今、仕事をしなければ生活していくことはできない。
その仕事が好きなら何の問題もないけれど、そうでないからこそ、悩んでいる。

 

働き方改革といわれるようになり、新卒で入社して定年まで働くというスタンスは古くなりつつある。
そしてフリーランスとして働く人が増えている。
この本の著者のお二人も会社員を経てフリーランスとして活躍されている。

 

小手鞠さんは本の中で

 

人付き合いが苦手でできるだけ人と接したくないから、30代のころ、ひとりで部屋にこもって仕事のできる小説家になりたいと思った


と書かれているけれど、今の私の気持ちがそのままそっくり本に書かれてびっくりした。(笑)


本を読むことが好きで、こうして物を書くことができるのを幸せに感じる。


そして、浅はかかもしれないけれど、ものを書く仕事がしたいという気持ちがずっと心の中にあった。


でも実際、しがないアラサーOLの私には無謀で無理な話だと、会社員として生きていくしかないとあきらめていた。

 

だけど、

 

仕事とは、一生を通して追求していく、人生を懸ける価値のあるものだと思います。


この言葉で、やっぱり人生を懸けて仕事をしてみたいと強く思うようになった。
今私が会社でしている仕事は、私でなくてもできる人はたくさんいる。
でも、一生を通して追求していく人生を懸ける価値のある仕事をしてみたい、私にしかできないものを書く仕事をしてみたい、と心の底から思うことができた。

 

終身雇用が一般的な時代であれば、歯を食いしばってなんとか40年(長い…)やっていくしかないのかもしれない。


だけど、やりたいこと、私にしかできないことを40年やっていくことはとても価値のあることだし、そんな生き方に憧れる。

 

小手鞠さんも不遇の時代があり、出版社に作品を持ち込んでもボツばかりだったとのことで驚いた。

 

時間を味方につけて、遅咲きを目指してコツコツとやり続けることというのを今から座右の銘にして、私の働き方改革を地道に進めていこう。

アラサーだけど、夢をもって、毎日を送っていこう。


恥ずかしいけど、私の夢はものを書くこと。
出来れば本の書評を書いて生計をたてていけるようになりたい。
これまで落ち込んだとき、辛いときはいつも本に救ってもらっていた。
本の中に欲しい答えが必ずあったし、自分の目の前が拓く感覚があった。
それはこの本もそう。

 

だから、人生を変える一冊を世に広めていきたい。
本に救われてきたから、本に恩返しがしたい。

 

2020年までもう少し。
自分の夢と目標をもって生きることを後押ししてくれたこの本に感謝。
読むことができて最高に幸せ。

 

 

働く女性に贈る27通の手紙

働く女性に贈る27通の手紙

 

 

 

【読書のススメ】学校生活の息苦しさ(蹴りたい背中/綿谷りさ)

いやー、これはやれました。(笑)
蹴りたい背中、今更ながら読みました。

 

ハツの気持ちが痛いほどよくわかって。
アラサーの今でも、記憶の中に確かにあるあの息苦しい感じ。

 

友達は多いほうがいい。
不愛想より愛嬌のあるほうがいい。

 

だれが決めたかわからないけど、理想とされている生き方みたいなのってありますよね。

 

ハツやにな川はそれを放棄して、クラスや部活の中で一匹狼でいる。

 

自分は他の奴らとは違うんだととがってる。
でも、すごくしんどそう。

 

多少無理してでも、なんとなくグループに属して、面白くない話でもへらへら笑ってるほうが思い悩まなくて済むだろうから、そこはうまくやればいいのにーとも思ってしまうけど、それをしないのがこの二人なんだろうな。

 

授業と授業の合間の10分休みが手持ちぶさたすぎて永遠に感じてしまったり、何人かのグループ分けの時にあぶれてしまって所在なさげになってしまったり、お弁当を食べる人がいなくて窓際のカーテンに隠れてみたり。

 

読んでいてとにかくしんどかった。
自分らしくいることと、人に合わせるということは相いれないことなのだろうか。

 

私も集団生活は得意ではなかったので、10分休みが早く終わればいいと思っていたけれど、お弁当を食べる友達を絶やさないように必死にふるまっていた。

 

中学や高校で一匹狼になることはしんどいことだとわかっていたから、そうならないように一生懸命やってた。
だけど、必死に一生懸命一緒にいた人達とは今では全く連絡を取ってない。
なんだこりゃ。(笑)

 

高校を卒業して、大学に入れば、世界は広くなる。
大学の人の多さは高校の比じゃなく、あちこちに知り合いができる。
それに、いっつも群れてる必要がなくなる。
私は大学に入ってからは、友達と時間が合わない時には、学食を一人で平気で食べていた。(笑)
高校の時は一人でいることが恐怖で仕方がなかったのに。

 

友達が少なくてもいいのだ。
なんなら、友達がいなくっても大丈夫なのだ。
アラサーになって、友達が家庭をもってしまい、本当に友達は減ってしまったけれど、ひとりでいることは不幸せなこととは違う。
負け惜しみではない。(笑)

 

小学校、中学校、高校、大学合わせて16年。長い…。


学校で集団生活を経験させることは社会性を身に着けることが目的なのだろうか。
ハツみたいに息苦しさを抱えている人はたくさんいると思う。


狭い世界を出れば、その息苦しさは薄まるけど、それでも他者とかかわらずに生きていくことはできない。

 

ハツが高校時代を経て、どんな大人になるのかとても気になった。
案外、社会に出たら、こういう子はうまくやっていくんじゃないかと思う一方、このまま息苦しさを抱えたままでいるんじゃないか…という思いも頭をかすめた。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

 

【読書のススメ】おじいちゃんの存在(海とジイ/藤岡陽子)

海とジイ

 

タイトルだけでほっこり。
でも、本当に読めてよかったと思えた本。
大人の道徳本というのも少し違うけれど、とにかく、読んでて涙があふれてくる。

 

おじいちゃんって意外と存在感が薄かった。
だって、小さいころ、祖父母の家にいくときにも、おばあちゃん家行くよ、と言われてきたから。
ほんとはおじいちゃんが建てた家なのに、なぜだかおばあちゃんの家。

でも実際のところ、料理を作ってくれたり、お風呂を沸かしてくれたり、世話を焼いてくれるのはやはりおばあちゃん。

 

なんだかんだで、おばあちゃんと話した記憶の方が思い出として濃い。

そして、挙句の果てに、おじいちゃんのほうが先に亡くなってしまった。

 

だからなのか、おじいちゃんに弱い。

椰月美智子さんの"しずかな日々"も大好きな小説だが、やはりおじいちゃんが出てくる。

 

しみじみ思い出すとおじいちゃんならではの愛情を、ちゃんともらってたことに気がつく。

おばあちゃんに比べて言葉数は少ないけど、遊びに行くといつも嬉しそうに迎えてくれて話を聞いてくれた。

今思うと、私が遊びに行ったことを本当に喜んでくれていたんだと思うのだ。

この歳になったからこそ、それがようやくわかるようになってきた。

 

"おっきくなったな。よく来たな"

といつも満面の笑顔で迎えてくれていたことをそう言えばすっかり忘れていた。

 

子供の頃は、与えられる愛情を当たり前のように思ってたけど、それは違うよな。

こんなにも温かくありがたいことだったというのは歳を取ったからこそ分かるものなのかも。

 

おじいちゃん、私アラサーになったんだよ。

まだ結婚できてなくてごめんだけど。(笑)

おじいちゃんに会いたくなった。

 

 

海とジイ

海とジイ