千と千尋と天気の子と若林のエッセイと
天気の子のネタバレありです。
天気の子を観て以来、RADWIMPSの曲をずっと聴いてます。
2019夏の私の中でのテーマソングは間違いなくRADWIMPSになりそうです。(笑)
そもそも、天気の子は観ようと思っていなかったのです。
若い子へのメッセージの強い作品なんじゃあないかと思い、アラサーは大人しくしてようかとそんな感じ。
だけど、鑑賞して以来、いろんなことを考えております。
きっと今まで思い出さなかった人たちのことを思い出したからだと思います。
オードリー若林のエッセイの中で、
人見知しりや生きづらい人生だったとしても、合う人に会う人生でいい。
それは相方であり、友達であり、家族であり…。
みたいなことが書かれています。
かなり意訳してますが。
この言葉はどこかお守りのようにいつも心の中にあるのです。
合う人に会う人生。
出会いと別れは表裏一体。
出会ったら最後、人は必ず別れる。
別れの形は人それぞれ違うけれど、別れる確率は100%。
人の命が有限である限り、当たり前のことかもしれないですが。
千と千尋の神隠しは金曜ロードショーなどで今まで何十回と観てきました。
奥が深過ぎて、そして私の頭が悪過ぎて、未だに本髄を理解できずにいるのですが、観る度に感動するポイントが変わります。
でもいつも心動かされるのがラストの千尋とハクの別れのシーン。
これもなんどもこのブログで書いてますが。(笑)
私はこの先には行けない
千尋は元来た道をたどればいいんだ
でも決して振り向いちゃいけないよ
トンネルを出るまではね
またどこかで会える?
うん、きっと
きっとよ
うん。きっと。
さぁ行きな
振り向かないで
ハクはなぜこの先には行けなかったのだろう。
それは、ハクの生きる世界のルールだったからなのか、掟だったからなのか、他の理由があったからなのか。
共に生きたいと思う人と出会い、一緒にいたいという思いを抱きながらも別れた千尋とハク。
ここで別れたら最後、もう二度と会えないかもしれないと知りながら。
もうね、本当に胸がいっぱいになるのです。
余韻が半端ないのですよ。
千と千尋の解説には諸説ありますが、千尋は元の世界に戻った後、湯屋での出来事を忘れてしまっているという説があります。
もちろんハクのことも。
そんなことがあってもいいのかと思ってしまいますが、それをフォローしてくれる言葉を銭婆が言ってます。
一度あったことは忘れないものさ
思い出せないだけで
千尋とハクが離れ離れになったことで、二人が出会ったことの尊さ、過ごした時間の儚さ、離れ離れになることの美しさが眩しいくらいの輝きを放つような気がするのです。
そして、人は出会ったら必ず別れるということを静かに教えてくれたようにも思うのです。
そして、自分にも少なからずそういう経験があるからこそ、観るたびに心が動くのだと思います。
そして、天気の子。
30年も生きていると少しずつ過去のことは忘れていくのだと実感しました。
だけど、思い出すことのなかった人達を思い出すきっかけをくれました。
ほんとに銭婆の言う通り。
一度会ったことは忘れないですね。
目の前にある日々の生活やら、せわしない日常によって思い出せなくなってるだけで。
天気の子のエンディングは千と千尋とは真逆です。
2人は世界のルールを変えることで、再び出会う。
もう二度と晴れなくったっていい
青空よりも俺は陽菜がいい
天気なんて狂ったまんまでいいんだ
ただ、ルールって何なんだろうとも思うのです。
誰が決めたルールで、守るべきものだとされているルールは果たして正しいものなのか?
8月ということもあり、戦争に関連する番組を見る機会がいつもより増えました。
にわかには信じがたいですが、戦争をすることがルールとされていた時代があったのです。
そう考えると、ルールを守ること、破ることの善し悪しを単純に決めることができないと強く感じます。
全く共通点がないように見える千と千尋と天気子のですが、ハクと帆高が自分の大切な人を元の世界に戻しています。
戻ってきた世界で、天気の子は再会し、千と千尋は離れ離れになる。
出会うことの尊さを謳っている観点で言えば、どちらも同じなのかもしれません。
合う人に会う人生。
出会えてよかったと思う人がいてくれることのありがたさ。
今はもう会わなくなってしまったけど、思い出すだけで、温かい気持ちになる人がいることの幸せ。
再会してもいいし、ときどき思い出してもいいし、思い出せなくてもいい。
一度あったことは 忘れずに、自分の中にしっかりと根付いてくれているはず。
千と千尋も天気の子も若林のエッセイも大好きです、